三田のはげ・おとん

ご訪問誠にありがとうございます。日々の些細な出来事を、思う がままの書き込みと、神社・仏閣及び巨樹等の紹介もしております。

辻の4本スギ @ 丹波篠山市

兵庫県郷土記念物 (昭和54年2月13日 指定)

巨樹「辻の4本スギ」

・所在地/丹波篠山市辻字鶴沢(稲荷神社内)

・根周り/9.0m

・枝振り/東西約33.2m、南北18.5m

・各々の樹高/約30m

・推定樹齢/不明

 この4本杉は、古くから「鎮守の森」として人々から親しまれて、今は「稲荷の森」として神木になっている。

 広い道路から脇道に入り、砂利の山道を上がっていきます。

赤い鳥居を潜ると、4本杉と稲荷の祠が見えます。

静寂の中に鎮座する稲荷の祠と4本スギ

角度によって、2本に見えます。

3本に見えます。

4本に

地上から約2〜3m辺りから、4本の大枝幹に分かれている。

全体を4本に見えるように撮るのは難しいです。

 

 



 

 

 

 

 















 

 

善光寺のイブキ @ 多可町中区

医王山「善光寺

・所在地/多可町中区東安田713

・本尊/阿弥陀如来立像 (高さ105cmの1本造りで、平安時代前期のものと考えられている。現在は兵庫県立歴史博物館に保存)

・創建/は不明だが、この谷奥に存する旧善光寺跡地で採集された土器から少なくとも平安時代前半には、寺院としての活動を営んでいたと考えられる。

・かっては大鳳凰山と呼ばれた古刹であった。

・現在、堂宇は本堂(イブキから離れているため画像なし)と薬師堂が造存している。

・中世以降は、善光寺は戦国時代の内乱により衰退する時期もあったが、多くの民衆の信仰を集めた。薬師堂内に残されている穿孔のある願掛け石はそれを如実に示すものである。

杉木立の山道を走ります。

行き止まりの正面に

薬師堂

「ひょうごの巨樹・巨木」

兵庫県指定文化財 (昭和50年3月18日 指定)

巨木「善光寺のイブキ」

・根周り/4.5m

・樹高/17m

・枝張り/東へ約5.9m、西へ約7.8m、南へ約6.5m、北へ約6.5m

・推定樹齢/約500〜600年

・本来は海岸や島などに自生するもので、海岸から40㎞あまり隔てた内陸である当地に順応し、生育していることは大変珍しく貴重であります。

・その昔、明智光秀がこの寺を攻め、この薬師堂に火を放ち、仏像を焼失せしめんとした。しかし、火は仏像を避けるように舞い上がり、全く焼け落ちる気配がないのを見て、怒った光秀の突き立てた杖が、薬師堂前に威風堂々たる姿を見せる大イブキとして成長したという伝説がある。 

薬師堂の手前に自生するイブキは圧巻。

イブキ 独特のねじり気味の樹面と樹皮

数本の枝は損傷や損失しているが、樹勢は旺盛。

 

 

 

 

 



 















 





 

赤穂四十七義士の墓所がある・観音寺 @ 加東市

「観音寺」(かんおんじ)

・所在地/加東市家原14-4

山号/大悲山

・宗派/臨済宗妙心寺派

・本尊/11面観音菩薩 

 

 

 

 

墓所は本堂の左側にある

 

赤穂四十七義士墓所

墓碑の配置図

墓所の正面に浅野家四代の墓碑

 

浅野家墓碑に向かって右手前が大石良雄(内蔵助)の墓碑

 

浅野家の向かって左手前が内蔵助の息子の大石主悦の墓碑

 

他の義士の墓碑は、3墓碑を囲むように並んでいます。

 

浅野家の墓碑の左手にはがきの木

昔はこの木の葉に文字を刻み込み、文書や葉書代わりに使用されていたそうです。

悲しい出来事で心苦しく感じました。






 

 

 

 

 

 

 

足利義教の首塚がある 安国寺 @ 加東市

東渓山「安国寺」(あんこくじ)

・所在地/加東市新定851

山号/東渓山

・宗派/臨済宗妙心寺派

・本尊/十一面観世音菩薩

・創建年/暦応2年(1339

・開山/固山一鞏

・開基/足利尊氏

・別称/播磨安国寺

足利尊氏後醍醐天皇をはじめとする南朝戦没者の菩提を弔うためと

天下太平を祈願して、日本全国68か所に建てた安国寺のひとつ。

 

 

 

 

本堂

鐘楼

本堂前の境内には美しい

枯山水庭園

心が和らぎます。

 

石造りの一休さん

寺の建物は全て重厚で管理も十分されている立派な寺です。

足利義教首塚は、寺の境内から少し西に離れた田圃の法面にあります。

次回書き込みます。

国生みの聖地に鎮座する・おのころ島神社 @ 南あわじ市

天の浮橋」を後に、おのころ島の丘に鎮座する神社に向かいました。

「おのころ島神社」(本来の名称は自擬島神社)

 ・鎮座地/南あわじ市榎列下幡多415

(難読であるため境内の石標・案内板や周辺道路の道路標識道路地図などでは、もっぱら「おのころ島神社」という表記が用いられている)

・国生み(産み)の聖地といわれる、おのころ島に鎮座する、おのころ島神社には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)の二神が祀られており、日本の神々誕生の聖地とされている。

・当社が鎮座する丘が、両神による国生み・神生みの舞台となったおのころ島であると伝えている。

・このことから縁結びのパワースポットや安産などの御利益があるとして有名な神社とされています。

・また高さ21.7メートルの大きな鳥居がランドマークとなっており、遠くからでも見ることが出来る。

朱色の大鳥居

・昭和57(1982)年3月建立

・この鳥居は平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる。

そばに立つと、鳥居の巨大さに圧倒される。

人と比較すると、鳥居の高さや柱の太さの大きさがよく分かります。

鳥居を潜り、石段の参道を上がります。

 

本殿

思ったよりコンパクトでシンプルです。

神前幕は菊の御紋。

 

 

日本の発祥地・天の浮橋 @ 南あわじ市

神聖な国生みの島・淡路島の散策には、最高の天気でした。

山陽道明石大橋〜淡路島へと向かいます。

 

 

西淡三原ICを下車

住宅地の一角ににある国生みの地

天の浮橋

 古事記日本書紀』の国生み神話によると、男神・伊弉諸尊(イザナギノミコト)と女神・伊弉冊尊(イザナミノミコト))が、この天の浮橋の上に立って天の沼矛(ぬぼこ)で青海原をかきまわし、その矛先からしたたり落ちたしずくが凝り固ってできたのがこの自凝島(おのころじま)で、二神はこの島に降りたち、淡路島をはじめ日本の国土を生んだとされています。

 「オノゴロ島」の候補地は島内各地にあって、自凝島(おのころじま)神社(天の浮橋から南に約450m)を中心とした場所もその一つだそうです。

 

柵に囲まれた場所が、日本の発祥地!?

 

特徴ある鳥居が建つ山王神社 @ 加東市

いつもそばを通ると、気になっていた珍しい形状の鳥居が建つ

「山王(さんのう)神社 」

鎮座地/加東市厚利535

高くて特徴のある山王神社の鳥居

こんな様式の鳥居は初めて見ます。

前方正面が神社です。

 


本来、参道は石段になっていますが、ここは石畳です。

本殿

 左右に2社が鎮座し、本殿の中央部を空間にして神輿が納められている珍しい様式です。

絵馬

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参道は石段ではなく、珍しい平らな石畳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿

 

右側から見る

 

 

 

 

 

 









 

波豆石造美術群 @ 宝塚市

《波豆八幡神社関連》

兵庫県指定重要有形文化財

「波豆石造美術群」

 大正の初め、千苅水源地を築造した際に水没する金福寺(当時既に廃寺)の境内にあった石造美術品を一括して現在の場所に移転した。

 

配列

 

兵庫県指定重要有形文化財 (昭和51年3月23日 指定)

三尊種子板碑 (中央)

・嘉暦3年(1328年)7月銘、波豆石製(流紋岩)

・地面からの高さ4m、幅82cm、厚さ24cmの自然石板碑。

・石板碑としては全国で2番目の高さ。

 

兵庫県指定重要有形文化財 (昭和43年3月29日 指定)

五輪塔 (左手)

・康永2年(1343年)3月3日銘、波豆石製。

 600年以上前に造られた応永鳥居やこの五輪塔は、現在のように研磨機や石切りカッターがない時代に、長い円柱やバランスの取れた円球がよく出来たと、いつも先人たちの技術の高さには驚きと感心させられます。

兵庫県指定重要有形文化財 (昭和43年3月29日 指定)

宝篋印塔 (右手)

・明徳2年(1391年)3月銘、波豆石製。

宝篋印塔 (五輪塔の左横)

南北朝時代、波豆石製。形式や手法は上記明徳2年塔より古い。