・鎮座地/加東市秋津1113
当社はもと森村に奉斉(1570〜1572年)に焼失し、貞享4年(1687年)に当地へ還宮したと伝えられるが、現存の宮に合祀したものと考えられる。
大きくて古い手洗舎
嘉永7年(1854年)奉納
隋身門
棟札から正保5年(1648年)の建立であることが分かる。
舞殿
拝殿方向から見た舞殿
拝殿
拝殿と本殿
神社の建築で、内陣と外陣の界が解放されているのは珍しく、各御神体がそれぞれの宮殿に分かれて祀られていることも類例が少ない。
各所の彫刻は元禄文化に先立つ優秀な彫刻である。特に向拝部の手挟彫刻、蟇股の彫刻、神殿の蟇股の彫刻は素晴らしい。
右手横から見た
幣殿と本殿
繊細な彫り物
裏側から見た本殿
兵庫県指定重要無形民俗文化財 (昭和47年3月24日 指定)
「秋津百石踊」
室町時代末期から安土桃山時代の初めころ「雨乞い踊」として始まったと考えられる昔をたどると享保17年(1732年)奉納の記録に始まり、昭和14年(1939年)までに11回を数える。戦後踊りの評価が高まり、県内外で公開されている。
かっては各氏子ごとに踊座を持っていたが、現在は西戸地区のみに継承されているそうです。
入拝踊、忍び踊、大雨踊、都踊、おむら踊、小歌踊の6曲がある。
各踊りごとに、心棒打(新発意)が狂言風の問答形式の口上を中心にはなやかに、かつ古式豊かに踊ります。
百石踊の名称は、この踊を一度催せば米百石分の経費を要することに由来している。