「波豆(はず)八幡神社」
・鎮座地/宝塚市谷田東掛2
・神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源 満仲の弟の源 満政が、八幡 神の神託を受けて天延元年(973年)に創建し、京都石清水八幡宮を分祀したと伝えられている。
・現在の本殿は棟札により、応永10年 (1403年)の建立が判明。
昭和6年(1931年)に完成した千苅水源地により、波豆集落は水没。参道下部も水没する。
車両が通行出来る参道を上がります。
拝殿
奥正面が国指定重要文化財で、指定年月日がかなり古い
八幡神社本殿
本殿は 1950年(昭和25年)に、文化財保護法が施行される前は、国宝(いわゆる旧国宝)であったため、地元では現在も「国宝波豆八幡」という看板が見られる。
昇り勾欄に立つ宝珠柱、向拝の柱間に置かれている蟇股は、室町時代の応永以前の古材が残っています。
右手横から見た拝殿と覆屋に囲まれた本殿
左手横から見る
西からの参道の石畳には一面に苔むす。
私の少年時代は「波豆の厄神さん」と言っていました。
毎年1月19日の厄除祭には、露天商の出店も多く、実家から近所の友達と一緒に、そこそこの距離を歩いて参拝に行きました。(実際は出店でいろいろな物を買うのが目的でした)
また、現地はその当時の様子と殆ど変わっていませんでした。