脇川山「教海寺」(きょうかいじ)
・所在地/三木市細川町脇川354
寺伝では白雉2年(651年)、法道仙人によって開基された。 延歴暦14年(795年)、当寺で空海が三年間修行したことから、寺号を「教海寺」とした(空海は一時教海とも名乗っていた)。
中世を通して、坊舍四十八坊寺領の50石があったが、天正8年(1580年)三木合戦の時、兵火によって焼かれ、焼失した。
伝承では、三木合戦で籠城中の別所長治軍に教海寺の寺僧は城内の兵を助けるために、米を詰めた竹筒を美嚢川支流の脇川に流し、羽柴秀吉軍の目を盗んで三木城に送ったが、竹筒の栓に、同寺周辺にしかないコウヤマキを使ったため送り主が発覚し、寺は焼き打ちに遭ったとされる。
のち、檀家らの熱心な寄進により、徐々に再建が進み元和元年(1615年)に大師堂が建立された。
杉木立に囲まれて建つ
教海寺本堂
納髪塔
四国八十八ヶ所・西国三十三ヶ所の山巡り
境内の北端にある
鏡岩
現在は長年の風化により、岩の表面は鏡の面影はない。
山門と庫裡は道路を挟んで少し離れた場所に建っている。