「住吉神社」
・平安時代の永保元年(1081)、丹波匡房(まさふさ)が堺の住吉神社から分霊を勧請したものと伝えられ、現在、大阪の住吉神社は、国家鎮護・航海守護・和歌の神として広く崇敬されています。
・川筋に出来た村の繁栄を水の神に祈り、匡房が歌人でもあり、お祀りしたと思われます。
・都から一品式部卿邦高親王が参詣したのをはじめ、仁木城主、籾井城主や歴代篠山城主も深く尊崇しました。
・第4代篠山城主 松平康信は総欅造りの鐘楼を寄進しています。
石造りの重厚感ある立派な
鳥居
拝殿
本殿
鐘楼
神社にあるのは珍しい。
住之江の庭
もと神宮寺の書院の表と裏に、昭和41年(1966)重森三玲氏作の庭園があります。
表の庭
7・5・3的な配石と植栽が調和している。
裏の庭
住之江の庭
「住之江の庭」と呼び、枯山水の庭で四国の青石を用い、白川砂で波を、竹垣は網干を表しています。
最初は波を表現しているとは想像出来ず、大蛇と思い気持ち悪く感じました。
(センスと想像力の無さを思い知らされました。)
寺院ではよくある枯山水の庭が、神社で本格的な庭を見るのは初めてだった。