三田のはげ・おとん

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悲運を伝える首切地蔵 @ 丹波市山南町

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「首切地蔵」

・所在地/丹波市山南町谷川山田315-1

 (当地の首切地蔵由来説明板より)

 首切地蔵は、今から約800年前の平安時代の末、平家が最後の砦と頼んだ宇治川の合戦にも敗れ、攻め入る源氏の大軍の前になす術もなく、命かながら京都を逃れ、一時神戸福原に匿って再起を計ったが、これも叶えなく一の谷に逃れた。はかなさ

 なかでも哀れみを止めたのは、平家一門に連なる公卿やその姫様達であった。

昨日までの栄蓽の夢破れ娑婆の無常を感じつつ人目を恐れ、丹波路へと逃れて行った。 

 その頃、近隣丹波東山には城主 形瀬近江守の築く鍋倉山城があり、近隣に勇名を馳せていた。

 丹波路に迷い込んだ公卿や姫様達はしばしの憩いを求めて身を寄せが、それも束の間、落人の狩に捕えられ、山田の山奥深く、樹木生茂げり、昼なお暗い首切沢で処刑され、あえなく悲運のの最期を遂げた。

 伝え聞いた里人たちが、人の世の儚さを嘆き哀れみ、碑を建て野花を手向け、後世を弔い祭ったのが始まりで、何時からか首切地蔵と呼ばれ、今に言い伝えられている。

首切沢の一部で、昼間でも薄暗い。

石段を上がれば首切地蔵が祭られています。

 

 

 

 

 

悲しさと、儚さがこみ上げる。