高源山「雲龍寺」(うんりゅうじ)
・所在地/三木市上ノ丸9-4
・宗派/曹洞宗
・本尊/釈迦如来
この寺は、寺伝によれば957年(天徳2年)天台宗の僧良源によって創建されたという。
その後、平安時代後期の保元年間(1156-1159年)に兵火にあって荒廃したが、鎌倉時代後期に赤松氏によって復興され、1322年(元享2年)後醍醐天皇により現在の山号に改められた。
室町時代には別所氏の帰依を得た。1578年(天正6年)豊臣秀吉による兵火により焼失したが、秀吉が寺領を安堵されている。
寺の境内の南側にある
三木城主の別所長治公の首塚
天生8年1月17日に自害した別所長治公の首は、秀吉によって安土の織田信長のもとに送られました。
三木合戦後、雲龍寺7世住職の安室春泰和尚が、安土より長治公の首を持ち帰り、照子夫人と共に寺内に埋葬し、弔ったとされている。
昭和48年(1973年)3月、別所公奉賛会の努力で首塚の修復と玉垣の設置、さらに照子夫人の霊を合祀されました。
左手に当初の長治公の首塚が建っています。
右が長治公、左が照子夫人
首塚の左手前にある三木城外堀に使われていた石垣
天目茶碗
天正8年(1580年)1月17日、別所一族の最後を弔うために、雲龍寺6世の住職が、当時の三木城主の別所長治公の自害の席に招かれた時に、長治公は護事を住職に託し、日頃愛用していた天目茶碗を形見として譲ったそうです。
(資料からの画像)
秀吉の1年以上続く三木城兵糧攻めにあい、城内の藁まで食べたとの言い伝えにより、当寺では、毎年1月17日に藁に見立てて、「うどん」を食べて当時をしのぶ会が催されています。