三田のはげ・おとん

ご訪問誠にありがとうございます。日々の些細な出来事を、思う がままの書き込みと、神社・仏閣及び巨樹等の紹介もしております。

二村神社 @ 丹波篠山市

現在6時、深夜から降り出した雨が本降りで、気温も低く肌寒い状態です。

三寒四温の状況です。

 

文保寺に隣接して鎮座する

「二村神社」

鎮座地/丹波篠山市味間南(文保寺境内隣)

 

 

 

 

文保寺の楼門を潜り、寺と神社の同じ参道を進みます。

左側は文保寺の参道、二村神社の第二鳥居へと進みます。


寺の参道から見た神社境内と拝殿

拝殿

 

右側から見た本殿幣殿

左側から見た本殿と幣殿

 

 



 

 













 

文保寺 @ 丹波篠山市

 


 白髪岳と松尾山の山裾に建ち、春は桜・フジ、夏はアジサイ
ハス、秋は紅葉と四季折々の花々が楽しめる

松尾山「文保寺」(ぶんぽうじ)

・所在地/丹波篠山市味間南1097

「縁起」

 文保寺は、大化元年(645年)に法道仙人(ほうどうせんにん)によって開かれ、自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し、聖備山長流寺(しょうびざんちょうりゅうじ)と称されていました。

 法道仙人は、印度より中国を経て日本に仏教を伝えたと云われ、瀬戸内海を経て加古川上流域の播磨・丹波地方を中心に200ケ寺以上の多くの山岳寺院を開かれており、特に天台真言系の寺院が多くなっています。

「最盛期」

 文保寺は、最盛期には堂舎21坊を数えたと云われ、元禄6年(1693年)の寺社改帳には、自光院、龍花院、真如院、観明院、一乗院、源智坊、行定坊、吉祥坊、西教坊、常光坊、中蔵坊、教蔵坊、善光坊、宝住坊、本性坊、本仙坊、泉蔵坊、山本坊、極楽坊、持正坊、理教坊の5院16坊があったと記されています。

「荒廃〜再建」

 開基より聖備山長流寺と称されていましたが、天暦の乱(947年)に堂舎悉く焼失し、荒廃の極みに至ります。正和年間(1312~1317年)花園天皇の御代に慈覚大師作という千手観世音菩薩を安置し再興されました。文保年間(1317~1319年)宝鏡寺の宮門跡一品親王真筆の勅額を下賜されて以後、「文保寺」と称します。

「戦国時代〜再び荒廃」

 その後、堂舎も整備され、往時の状態に復したようですが、戦国時代末の天正年間(1573~1592年)に明智光秀丹波攻めに遭い、再び全山悉く灰燼に帰しました。

「再復興〜現代」

 江戸時代中頃になって復興、真如院、大勝院、観明院、本覚院、林城院、慈明院の6院となり、現在は、真如院、大勝院、観明院の3院となっています。

文保寺の石標と二村神社の鳥居。

 

文保寺の楼門

 鎌倉の建長寺を模して建立されたと伝わるが、当初の門は天正年間(1573〜1592年)の戦乱の際に焼失したとされる。

 現在に伝わる門は再建されたもので、天正末期と考えられる。下層部は大正14年に改修されているが、上層部には彩色の痕跡が見られるなど、再建時の部材が残されています。

 建築様式は、楼門は三間一戸で、屋根は入母屋造の銅板葺で、肘木は禅宗であるが、全体として和様を基調としている。

 室町時代末期の様式を現在によく伝えています。

正面に幽門と二村神社の第二鳥居が見える場所から、寺と神社の境内が分かれます。

 

 

裏側から見る

大勝院を横手にどんどん上がっていきます。

檜の巨木を見ながら参道を行きます。

春の訪れを告げるフキノトウ

本堂楼鐘

 

本堂正面に繊細な彫物がこれだけあるのは珍しい。

扉の彫物も素晴らしい。

本堂の右側に建つ

法道仙人供養宝塔








 

今年初めての「いかなごの釘煮」を頂きました

いかなごの釘煮」

 今回は2kg買いました。

 少し遅かったのか、かなり大きくなっていましたが、 私は大きい方が好みですので良かったです。

 

 

 昨晩から炊きはじめ、日が変わる頃に出来上がりましたが、今はいかなごを炊く時の臭いが、部屋中に充満しています。これが厄介です。

 今日の朝食から白米と一緒に美味しく頂きたいと思いますが。。。ザラメ砂糖を大量に使用しますので、糖尿病持ちの私は、食べ過ぎに注意しなければなりません。





 

秋津薬師堂 @ 加東市

秋津住吉神社の北にあり、建ち、集落の一角に建つ、(秋津住吉神社の北側)

兵庫県指定文化財 (昭和42(1962)年3月31日 指定)

「秋津薬師堂」

・所在地/加東市秋津912

・建築様式/桁行三間、梁間四間で、一重入母屋造、屋根草葺

 簡素で地域色のある路傍に建てられた辻堂として、県内でも類例の少ない建造物です。堂内には室町時代後期の薬師如来坐像が安置されており、この堂も仏像と同時期に建立されたものと考えられています。

 

 

 

木彫薬師如来坐像

公開、非公開の有無は、3月31日に発表されるようです。

 

 

 

 

厄介な花粉とPM2.5が大量に飛ぶ

 晴れの日が続く上、気温も上がり、いい気候になり過ごし易やすくなりましたが、反面、厄介な花粉とPM2.5が大量に飛び、私も含め花粉症の人にとっては大変な状況になっています。これに黄砂が飛来すると思うと、本当に憂鬱な気分になります。

山々も霞んでいます。

六甲山系

羽束山

公園の桜の開花は、まだ先のようです。

 





春日江のカヤ @ 丹波篠山市

「ひょうごの巨樹・巨木」

巨木「春日江のカヤ」

・所在地/丹波篠山市春日江(熊鞍神社)

・幹周/4.3m

・樹高/20m

・推定樹齢/不明

    通る車を邪魔するかのように道の中に鎮座する。

    痛みが激しいのは道路のアスファルトのためかも知れない。村の中心にあって地区のシンボルでもある。

 

 

 

 

 上の画像の裏側は根回りから空洞化している

 

主幹は途中で枯れて損失している。

 

大枝が枯れた主幹を温かく包むように葉を付けて成長しています。

 

 

 

この冬、最初で最後のぼたん鍋を頂きました。

ぼたん鍋

寒い夜は鍋に限ります。

特に猪鍋は味噌仕立ての出し汁でしますので、体がよく温まります。

 いつもは鍋の隠し味の粉山椒が付いているのですが、今回は山椒不足か、付いて無いし、店にも売っていませんでした。

 私にとって、粉山椒が無いぼたん鍋は、考えられませんので、家にあったものを使いました。

 

 

 

満足×2!!








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

宮田の五葉松 @ 丹波篠山市

「ひょうごの巨樹・巨木」

天満神社の境内にある

巨樹「宮田の五葉松」(別名:ヒメコマツ)

・所在地/丹波篠山市宮田(天満神社境内)

・幹周/資料によっては、約1.4m又は約4.0m

・樹高/約5.0m

・枝張り/約12m

・推定樹齢/不明

 地元宮田地区の手厚い保護を受けて、強い樹勢を保ち続け、その枝葉を現在も広がっている。

 葉は針状で、五枚ずつ束になってつく。雄雌同株で、5月頃若い枝の基部に雄花、先端に雌性球花を付ける。

 和名の五葉松は、五枚の葉をもつマツの葉から名付けられた。

 崖の上から下へ傘を広げるように枝を伸ばしている。広がった枝は氏子が棚で支えられ、樹勢もすこぶる良い。とても一本の木とは思えない。
  壮観な五葉松である。

 

タコの足のよう。

 

根元を見るとやっぱり1本の樹木。

根元も異常な形態。

1本の大枝幹が、根元から地面を這うように真横に伸びている。

さすがに支柱がないと無理。